同感!!
矮小化する日本!!←同感であります!
リンク: 週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]民主党は日本社会党よりお粗末だ!:自民党もねぇ・・・.昨日は、衆議院インターネットTVで5/30の党首討論を見ましたが、民主党はだめですねー。いくらなんでもお粗末過ぎる。今は、真面目に考え、まともに発言し、まともに行動すれば、それだけで、あっさり政権交代できる状況だと思います。今こそ政権交代のチャンスですよね。マスコミさんは、一生懸命政府のあら捜しや安倍さんが頼りなくまた右翼的な首相であるというイメージ付けをしてくれているというのに。。。。。民主党は、全てのチャンスをどぶに捨てているとしか思えません。それとも本当のところは野党のままでいたいのでしょうか?こうなったらもう1つ、自民党と闘える政党を自民党の周辺にいる元自民党議員の先生や無党派議員、それから、今の政府のもとで冷や飯食わされている議員さん達で結束して新たに作ってもらった方が良いのではと思ってしまいました。民主党にはほんとにガッカリさせられました。
リンク: 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」 2007年5月.松岡農相の自殺は、わたしにとってもショックだった。ネットニュースの文字を見て[現職大臣が自殺?][まさか?]と思ったが事実だった。私も凡人だから、山崎さんと同じように何も自殺しなくても職を辞せばすむことなのにと思ったが、山崎さんも書いていらっしゃるように、政治の世界は、私達の想像をはるかに超えて複雑なのだろう。首相官邸TVで、在りし日の松岡大臣のインタビューを見た。農業政策に対して非常に情熱を持っていた方に見えた。これからという時に残念だ。彼が、追及されていた事が、彼の農政の是非ではなく、事務所費の問題や談合に関係した会社からの献金であったことに対して、私は釈然としない思いを抱く。(私は、野党が政権を取る為だけに活動しているとしか思えないことがある。自民党より野党の方がさらに国民の方に目が向いていないのではないかと思うこともある。事務所費をごまかすことは良いことではないが、各行政問題について話し合う委員会等でそんな話をしていて良いのかと最近うんざりすることが多い。それはそれとして、違うところで追求なり話し合いなりして欲しい)山崎さんが、まとめて下さった各新聞の松岡農相の自殺に関する記事見出しを見て、私も、最後に山崎さんが、分析していらっしゃるような感想を持った。各新聞の編集方針の特徴が見出しには良く出ている。もしかしたら、各新聞の見出しを読み比べるのは、メディアを正確に読み解く良いツールかもしれない
リンク: アンカテ(Uncategorizable Blog) - 検察出身者がライブドア捜査を批判し司法の構造的問題を明解に指摘する本.なるほどそういうことか。。。。。公をとりあえず、無意味なものとして定義せよ!と言うところから始めるべきと思っていたが、アンカテさんの言うように、公を意味あるものにするという方向性もあるのかもしれない。しかし、常に「私」として「公」に語りかけ働きかけ、無力感を感じている私としては、日本人が今までやってきた「公」を権力から引き離し、床の間に祭り上げてしまうやり方のほうが、平和で、現実的にやりやすい方法だと思ってきた。アンカテさんの言う事は正しいが、実現させるのは、とても難しいことのように私には思える。しかし、もはや、今の日本人にとって、私が考えるようなやり方の方がより難しいのか。。。もう一度、考えてみようと思う。
リンク: 平和国家への道 【Sakakibara Street】.先程のGyaoの報道で、今日、集団的自衛権有識者会議初会合が行われたとのこと。そこで、集団的自衛権行使反対の声は全くでなかったと聞いてびっくり。そういうメンバーしか選べない首相は、やっぱり小さいのかも知れない。今までやってきた行政改革をある程度停滞させない為には、あまりころころとリーダーを変えるべきでないだろうと思ってきたが、ブッシュさんの任期が終わる頃には、安部首相にも退陣してもらったほうが良いかもしれない。。。いやもっと早い方が良いか。。。サカストさんの意見に賛成だ。今これと言って不都合のないものを、なぜ?わざわざ無理やり変えなくてはならないのか?戦争ができない、武器輸出に頼れない、いわば安易で一時しのぎの戦争景気に期待できないからこそ。。そういうしばりがあっからこそ、今の日本があるのだということを忘れてはならないと思う。そういうハンデがあっても。。。ではなくてそういうハンデがあったからこそ。。なのだ。絶対に自衛以外の戦争をしないし、武器も作らないという前提で、国民の安全を守る方法に知恵を絞る。これこそ、今の日本の政府に求められる態度だと思う。外国から攻撃されたらどうしようなどどいう煮え切らない態度はダメなのだ。絶対に外国から武力攻撃されない外交をすると決め、外交能力を磨くのが、平和憲法を持つ国の政府のただ一つの道だと思う。私は、そのことを政府に選挙を通じて訴えて行きたい。が、社民党と共産党は9条改憲絶対反対というばかりだし、民社党は、自民党と大差ない。平和党という触れ込みの公明党からも何も声が出て来ない。これではどこも選べない。私は、具体的で現実的な軍隊を持たずに平和を守る方法を提示する政党を求める。そういう党が現れれば、国民からかなりの数の票が得られると思う。
そうそう、宮台さんが言っていたコスタリカについて、少し調べてみた。Wikipedia-コスタリカコスタリカでも何度か非武装中立が揺らいだことがあったらしい。こんな記述があった。<政治外交の基本方針はアメリカ合衆国との協調および反共産主義である。このため1941年の真珠湾攻撃に際してはアメリカに先駆けて枢軸国側に宣戦布告を行い、近年でもアメリカのアフガニスタン・イラク攻撃を支持したが、護民官や市民団体の提訴を受けて翌2004年12月に最高裁が大統領決定を違憲判定、支持は撤回される。また反共主義の観点から中華人民共和国やキューバと国交樹立していない。>これでいけば、日本は、アフガン・イラク戦争の時、小泉首相の決定を違憲として提訴しても良かったのではないか?参議院が「コスタリカ・カナダにおける憲法事情」という調査を行っていたようだ。こういう調査結果をぜひ、国会の場で生かして欲しい以下<>は「宋文州の傍目八目(日経NB-Online)長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる」からの引用です。<この誰が言ったかを忘れましたが、「国家や組織は成功した要因で衰退する」という言葉があります。「過去の成功体験を捨てる」と我々はよく個人的に言いますが、国家にも同じことが言えるのではないでしょうか。 >成功した要因で衰退する。。。。肝に銘じなければならない言葉ですね。
リンク: バベルの塔 【岸田コラム】.まったく同感だ!昨日、シラク大統領の最後の演説をGyaoニュースで聴き、今日は、東京新聞で、シラク大統領の12年間振り返る特集記事やサルコジ氏の大統領就任式典の第一面記事などを読んだ。新聞の記事は、シラク大統領の国内政策の失敗に言及している部分が多く、功績としては、外交、とりわけ、アメリカ一国主義に警鐘を鳴らし、イラク戦争に反対をし続けた事くらいしかないと言った論調で書かれているように思われた。しかし、あの時、フランスが大きな声で反対し続けた貴族的ともいえる、経済の世間知らずとも言える態度は立派なもので、もっと大きく称えられてしかるべきものではないかと私には思われる。サルコジ新フランス大統領の新聞の写真を見て、安部さんとどこか似ていると思った。二人とも、小さく見えるのだ。人間が小粒と言っても良いかも知れない。二人とも、努力家で優等生で、そして、それだけなのだ。こうやって、世界の指導者は、目先の利益ばかりを追う小さな指導者で溢れていくのだろうか?寂しい。前にも言ったけど、政治は、生活と直接結びつかない「まつりごと」で良いのではないかと、私は密かに思っている。生活の手当ては、お隣同士、物理的近くに住んでいる人達の小さなコミュニティーで対処した方がきめ細かく、無駄のない対応が出来るのではないだろうか?そして、国は、その小さなコニュニティーに所属する人々に共通のほんとうに根幹に関わる例えば基本的人権などを守る為に機能すれば良いのではないかと思っている。天皇陛下などのあり方が、国首長の本来のあり方ではないか思う。商売と政治が結びつく事は、政治の本来の姿ではないと思う。優等生は、実務の席に座っている事が自然だ。一国の大統領や首相は、国民の統合の象徴としての役割が一番大切なのだということをもう一度考えたい。そう思った時、安部首相は、日本の統合の象徴にふさわしいか?と自問自答した、そして、私は、第2日本テレビの安部首相アメリカ中東訪問の様子をノーカット版で見た時のことを思い出し、首を傾げてしまった。画面で見る彼には、決定的に教養とそこから醸し出される品格というものがないのだ。昨日の党首討論は、まだ完全な形で見てないが、新聞で読んだところでは、もはや、与党と野党の対立などないのだと思った。あるのは、官僚(実務者)と立法府(政治家、国民)の対立なのだと思う。結局、かつてあった自民党の派閥の対立が、ある一部の派閥が外に出て大きな政党になって、対立構図を国民に見えやすくしただけ。。。なんて日本人は、自民党好きなのだろうと思う(それは、民社党や共産党が時代に合わせて自ら変革できない超保守政権であることに原因があるかもしれないが)。今の時代の大きな対立は、各政党や派閥にまたがってある、今までの利権をどうあっても離したくない派とその擁護派対無駄をなくし、今必要な場所に財源を移して行こう派の対立なのだと思う。だから、政党同士が、ごたごたやっているうちに、政党をなど超えて、今必要なことをはっきり示し、皆の声に耳を傾けて改革します!と叫ぶ「あたりまえのことを言っただけの無党派候補」にころりと参ってしまうのだ。しかし、ここで、私達がよく心して考えなくてはならないのは、無駄とは何か必要とは何かという問題だ。全て今までの事は無駄だったという思想は危険だ!真に合理的な考えは、一見無駄のように見えるのだ。そこのところを良く考えながら、ちょっと威厳と品格に欠ける安部総理だが、頑張ってもらいたいと思う。彼は一国の長であるというよりも、常に、改革を拒んできた小さい頭の官僚の若き代表なのだ。であれば、既得権益者は自ら変わろうとしているのだと思いたい(わかってはいても中々習慣を止められないというのが人間だ。抵抗も仕方ない部分もあるだろう)。どこまで、自らの利益を捨てて公の利益を考えることができる体質に変われるかお手並みを拝見しよう。そして、それら、安部総理のやるべき仕事が終わったら、今度は、速やかに自らも退陣できたらそれは、それとして日本の政治の賞賛されるべき習慣となるだろう。前小泉総理も、新人自民党議員を前にしての演説で、公の者たるもの使い捨てを覚悟せよって言っていたもの。それにしても、フランスが貴族的政治を捨ててくるなら、日本は、早く貴族的政治に戻り、世界のバランランサーに変わる必要があるのではないだろうか。何度も言うが、武器を取って国と国が戦うのなんてことは、もうあまりにも古い思想なのだ。テロと闘う事は、おそらく新たしいテロを生み出すだけだろう。これから皆でやらなければならないことは、テロを生み出す原因を囲い込み小さくし無力化することなのだ。丸激トークオンデマンドの宮台さんが東京新聞で言っていた軽武装中立国コスタリカのような国に日本はなれないものか(まだコスタリカについてはしらべていないです。とみざわ自身は。。これから勉強します)そして、経済的な繁栄と環境と平和を実現した今までの国という思想を越えた国を私達で作れないものか。この時の記事で宮台さんが言っている<対米自立には重武装化が必要です。反撃を予想した敵に攻撃を控えさせるべく、弾道ミサイルなどによる対地攻撃を軸とした反撃能力が要るのです。それには集団的自衛権を超えた憲法改正が必要となり、「周辺国の国民の感情的手当て」と「文民の戦略的外交能力」も求められます。外交と教育の積み重ねが必須ですが、完全に手付かずです。>この手付かずの部分を今早急に始めなければならないと私は思う。教育を各教育機関が先送りしている暇はない。とみざわが、一応小さく活動しているスマイルキッズクラブでも、外国とのお付き合い能力について取り上げたいと思う。日本人の外交能力の低さは、まずもって外国を他人として見られないことが一因になっているような気がしてならない(多くの国がそうかもしれないが)。「自分だったらこうする」「自分だったらこう思う」を相手国に単純に当てはめた結果上手くいかないことが多いような気がする。結局、他人がいないのだ(アメリカのように強引に他人を自分にしてしまおうというのも日本以上に問題だが)。自分を振り返っても自他を区別した上で、相手に対して思いやりを持つ事はほんとうに難しい。でも、大人になるということは、そういうことだろう。日本人の個人として出来る平和維持活動として「大人になる努力をさぼらない」をとみざわさんちのハハは掲げたたいと思う。思いやりには、絶対的な知識の量と質の向上が必要だということを忘れてはならないと思う。思いやりをもちましょうねえと唱えただけでは、思いやりとは、何であるかさえわからないのだと肝に銘じることも大人としてのたしなみではないかと思う。
リンク: 麻生太郎オフィシャルサイト.先程アップした麻生大臣のデフレ不況2の下にある2007年2月号を読んで、先程のブログでハハが書いた資本主義のどん詰まりとは「イギリス・アメリカ風資本主義のどん詰まり」だったのではないかと思いました。日本に適した「ローカルスタンダード」再考。。考えるべき方向はこちらでしょうね。だからと言ってハハにすぐ妙案は思いつかないのですが。。。もっと、小さなファンドが欲しいとは思います。テレビ局の株を買う気はしないのですが、気に入ったテレビ番組のファンドがあったら買いたいとは思います。そういうことになると、超直接投資ということになるのでしょうけど、あれば買いたいし、おばさんや従姉妹が膠原病という原因不明の病気であったりするので、膠原病の研究ファンドがあったらそのファンドを買いたい。お金を投資することの見返りがお金でなくても良いのではないのか?なんて思いますが、どうなんでしょう?すぐに、お金の利益が出なくても、研究に対しての真摯な姿勢に対しては、株主が厳しく目を光らせるとかね。もっと、お金という象徴に込められている人々の欲望願いを、分解整理して他の言葉に置き換える作業が、新しい日本発ローカルスタンダードを作る過程で必要なのではないか?なんて考えました。何か面白い意見があったらお聞かせ下さい。とみざわさんちのハハももうちょっと考えたいと思います。
リンク: 麻生太郎オフィシャルサイト.とどのつまり、橋本治さんが言うように今日本は資本主義のどん詰まりにきているのではないでしょうか?銀行に集まったお金の行くべき先は何処なんでしょう?お金がほしい人や場所はたくさんあっても、お金で利子が払えない場所に銀行はお金を貸し出すことはできません。ロングテール何ていうことばがとみざわさんちのハハの頭をよぎります。海外の企業に貸し付けることはできないのかしら?そもそも銀行そのものの意味がもう無くなってしまっているんじゃないの?利益なんか取れなくても元本さえ保障してもらえれば良いから、お金を必要としている人達に貸してあげたらよいじゃないの。。。。いえ、元本が保証されなくても、必要な時に必要な人に必要なだけお金が行く仕組みがあれば、別にお金を蓄えておく必要はないのです。その事務的な仕事を代行してくれるのが「銀行」なんていうくらいのスタンスに「銀行」をもっていくことも原理的には可能だと思うのですが。。。どうなんでしょう?世の中の仕組みを考えていると、なんだか人間が壮大な無駄遣いを延々とやっているような気がして、時々ため息が出るとみざわさんちのハハです。
とみざわさんちのハハは、これを読んで自分が立っている場所を遠くから眺める事が出来た。これと同じく橋本さんの著作『「わからない」という方法』に、ハハは大いに勉強させてもらった。現代に生きる人達には、是非とも一読をお勧めしたい。
リンク: 東京新聞:国民投票法案14日成立へ きょう参院委員会採決:政治(TOKYO Web).国民投票法案の問題点についてまだ確認していない。今日中にみておきたいと思う。あとで、参考サイトをアップします。
リンク: 暴力は許せない 【Sakakibara Street】.とみざわさんちのハハも激しく同意します。サカストさんは戦争を経験している。私は経験してない。生まれたらそこは、高度経済成長の日本だったというのがとみざわさんちのハハなのだけど、想像はできる。包丁でちょと指を傷つけただけだって痛いのだ。水につけないように怪我した指をかばっているだけだって不便なのだ。時々、怪我をしたり病気になったりすると痛くもかゆくもない普通の日常がほんとうにありがたく感じられる。地雷で片足をなくした人の痛みはどれだけだろうと思う。子供が夕方なかなか帰ってこないというだけで、何かが起こったのではないかと心配になるのだ。戦場に夫や息子を送り出したら、1日中、無事に帰ってくるまで心安らかな日はないのだ。時々、とみざわさんちのハハのアパートの上にも自衛隊の飛行機が飛ぶ。あっちと「わー!低く飛んでるねえ」なんて呑気に見上げているけど、これが戦争だったら すかさず逃げなくてはならない。飛行機の音がしただけでびくっとしながら毎日を過ごさなければならない。とみざわさんちのハハは絶対そういう生活はいやだ!そしてそれはとみざわさんちのハハだけでなく、戦争を一回起こす事で大儲けできる資本家やその他利権者を除けばみんな誰だって戦争なんてイヤに決まっているのだ。もう国と国が争うなんて古い!利権者同士の争いは利権者同士で決着を付ければ良いではないか。とみざわさんちのハハはそう思う。意見対立の解決は「痛くない方法」で!憲法改正が出来るような法律の準備を整える事は悪い事でないが、日本に国籍を持つ者が、現行憲法のことをもっとちゃんと知らなければその自由は危険だ。憲法に書かれている言葉は単純で、「憲法の中の言葉」をそのまま飲み込むように覚えるだけならそんな難しい事でないかもしれない。でも、「その言葉」が、人が生きて動く社会に置かれた時、どのように立ち上がる可能性があるか検討しなければ、憲法を理解したとは言えない。となれば私達は「全て日本国籍を持つ人は、憲法の言葉とその汎用性を知る義務がある」と思う必要があるだろう。良くも悪しくも、まだ国はあるのだから。好むと好まざるとに限らず国の決定したことに、国民である私達は従わなければならないのだから。自分の身は、自分で守らなければならない。そういう覚悟が必要だ。そうでなければ、いたずらに自由という危険な道具など持ない方が良いと思う。
3/16堀江さんの裁判2年6ヶ月の実刑判決がでましたね。各新聞でも大きく取り上げていました。GyaoでJNNニュースを見ていたら、判決が出た途端、各テレビ局のアナウンサーがすこぶる興奮してつんのめるようにしてかわるがわるマイクの前に並んでいたのが印象的でした。ライブドアのPJニュース等で裁判の一問一答をつぶさにウォッチンングしてきたわたしとしては、堀江さん達がイチかバチか、重刑か無罪かというリスク覚悟の法廷戦略をとっているんだろうと思ってきたので、落合さんがおっしゃるように裏目に出たなというのが一番の感想でした。東京新聞の宗像さんの解説によれば、裁判所はこの事件を一種の巧妙で計画的な詐欺事件と見たということですから、そういう見方でみれば、たとえ、堀江さんが積極的に主導したと言えなくても実刑になるのは止むを得ないことかもしれません。赤字で切羽詰った企業が、本当の事をいう勇気がなくて悪いことと知りながら、虚偽の会計報告をしたのではなく計画的に素人からお金を巻き上げる為に仕組みを作ったと認定したのだとすればそこから見えてくる景色はがらりとかわってきますから。検察はうまくそちらにストーリーを運ぶ事ができたと言えるのかもしれません落合さんは「ライブドアと日興コーディアル」と言うエントリーの中で同じような事件を起こした日興コーディアル証券とライブドアに対しての東証、マスコミ・司法の扱いの違いについて語っていらっしゃいますのでご紹介いたします。
東京地検(及び証券取引等監視委員会)にしても、また、東京証券取引所にしても、このような取り扱いの違いについて、大きな説明責任を負っているのではないかと私は思います。このまま、うやむやに終わらせてしまっては、やはりライブドアは新興で出過ぎた真似をしたので叩かれつぶされた、日興コーディアルは既成の秩序の一角を大きく担っていたから救済され存続を許された、という、多くの人々が根強く抱く疑念をますます増大させ、今後、あるべき法秩序に対する人々の信頼に深刻な亀裂を生じかねないでしょう。そのことを、私は、今、強く憂慮しています。(弁護士 落合洋司 (東京弁護士会) の 「日々是好日」ライブドアと日興コーディアルより)私も落合弁護士の意見に同感です。なんて事を書いて中々アップできないまま数日が過ぎ、宮内被告も実刑会計士の久野太辰さんも実刑、法人としてのライブドアに対しても、2億8千万円の罰金という判決が下されました。東京地裁は、やはりこの事件を組織的な詐欺事件と認定しているのでしょうね。法人のライブドアは控訴しない方針のようですが、堀江さん、宮内さん、熊谷さん、会計士の久野太辰さんは控訴したようですからまだ今後どうなるか分かりませんが、私の中では今まで漠然とあった法に対する信頼や法を守る為に働いている検察(三井環さんの事件などを見ると裁判所に対しても不信感はありますが、今回の小坂さんの判断は、出された証拠を検討すればああいう判断をせざるを得なかったのではないかと思っています)に対する尊敬や信頼はすっかりなくなりました。特捜検察は、新興勢力堀江貴史を潰す為に派手な立ち回りによって彼らを裁くことによって(せめてもっと地味にやれば良かったのに。。。証券等取引委員会が勧告するところから始めたら、、、ライブドアがダメになるならなるで、一般投資家の被害も少なく静かに終焉を迎えただろうし、もしライブドアと堀江貴史がそれをバネに今までの業務全般を見直し業績を伸ばせたとしたらそれはIT業界全体を繁栄させ、次の日本を支える産業を生み出したかもしれない)、自分達も大きな痛手を負ったように私には思えます。少なくとも、この事件をきっかけにして、塀のこちら側とあちら側の壁がは薄く低くなりました。塀のあちら側にいる人が極悪人で、こちら側にいる人が善人だなんてことがないということが実感を持ってわかりました。堀江さんが最高裁まで行って、実際に実刑2年6ヶ月の罪が確定し収監されたとしても、結局大きなところで特捜検察は負けてしまったんだろうと思います。特捜検察の派手な立ち回りによって、真面目に汗を流して働いている一般の検察官に対する庶民感情をも相当傷つけてしまったのではないかと様々なブログ等を読みながら思いました。結局、もしかしたら自滅したかもしれない堀江貴文を特捜は、いたずらに英雄に祭り上げてしまったようにも私には思えます。それはもしかすると時代の大きな流れといえるのかもしれませんし、日本という国がいよいよ成熟のタームに入ってきた証とも言えるのかも知れません。特捜検察なんてなくてもそこそこ上手く行く社会の方が大人の社会に決まってますから。堀江さんと言う人はその不器用さと正直さによって時代のタームが変わる転換点のその場所に座らせられてしまった人という感をぬぐえません。堀江さんには、もし塀の中に入ることになったらなったでそこで新しい時代を開いて欲しいと勝手な期待をしてしまいます(ごめんなさい。本人にはいい迷惑かもしれませんが、椅子に座ってしまった人の宿命ってあると思うので割り切る事も大切かもです。そのかわりそれをさせてしまった私たちは何らかのメリットを堀江さんに提供する必要があると思います)。塀の中から指示を出して新しい事業を成功させて再チャレンジの最高の見本になるなんていうこともあったら面白いし、それは、一般の(特に若い)人達に罪とは?法とは?正義とは?ということを考えさせる良い機会になるのではないかと思います。。。。な~~んてことを考えていたらーフィナンシャルジャパン「亡国論」なぜ僕たちは捕まったのかー2007年5月号よりーに堀江さんと佐藤優さんの対談が載っていました。これを読んでますます上記に書いたような事が実感されました。みなさまも読んでみてください。最後に堀江さんに対する論評で一番共感を覚えたのは、山崎元さんです。山崎さんの厳しくも暖かい先輩の男としての言葉に山崎さんの知性と人柄しのばれます。こちらもぜひ飛んでみて実際読んでみてください。この他に私がネット検索で気になったライブドア事件に関する記事のブックマークを紹介しておきますので、それぞれの記事を読んでみてください。
それから、丸激トークオンデマンドでもライブドア事件にみる検察資本主義の到来として朝日新聞編集委員の村山治さんをゲストに招いて面白いトークが繰り広げられていました。ぜひ御覧下さい。(こちらは、会員登録と一月525円の聴取料がかかります)
あけましておめでとうございます。小正月こそ日本人の心、小正月こそ本物のお正月だもんね♪と思ってついこの間まで、松の内松の内~~待つも待たぬも松の内~~~~♪などとと、のんびり歌っていたとみざわさんちのハハでございます。気が付けば世の中は、もうとっくに平常通り動いてる。日銀が利上げするとかしないとか、つい昨日もニュースに、ちょっとみ定年直前のお人よしの校長先生みたいな福井日銀総裁が、読売新聞一面に載っておりました。それにしても、円安が続いております。私は、Espuresso Diary@信州松本さんの日本の田舎の自営業者さんの視点で書いたブログを愛読していて、Espuresso Diary@信州松本が書いてらしたユナイテッドワールド証券のベトナムファンドについて興味を持ったので、口座開設資料を請求したのですが、まだ読んでいないのであります。
来週あたりから、ぼちぼちお正月気分醒さにゃいかんと思っているとみざわでございます。みなさま、今年もよろしくお願い致します。夕ご飯作ったら炬燵にあたって資料読もーっと。ネアンデルタールトミザワが職場で勧められるままに入った保険も見直さなきゃあ。郵便局の子供の学資保険も今見直し検討中。計算の不得意なとみざわさんちのハハは、いつも学校のお便りのお古だとか広告の裏などにエンピツで計算しているから時間がかかってしまうのですが(ボケ防止の為になるべく計算は紙か暗算でするよう涙ぐましい努力をしているとみざわさんちのハハなのであります).....頑張ります。!(^^)!そろそろめ~~を覚ませ~~!そういえば、今購入検討中の本あり。貞子ちゃんちの連れ連れ日記(1/14)に出ていた米原万里さんの「ロシアは今日も荒れ模様」。米原さんが以前徹子の部屋に出ていたのをたまたま見たことがあるのですが、「知的な人」というのはこういう人のことをいうに違いないと感動した覚えがあります。読まねばならんという本をいっぱい抱えているとみざわさんは、米原さんのエッセイを軽いレッルエンジョイ本と見て(きっと楽しいからどんどん読めてしまうに違いないと思い...)もう少し小難しそうな本が読めるようになってから読もうとその時がくるまでのお預け本にしておいたのですが、貞子ちゃんのブログで本の内容を知って、しかも、米原さんが、昨年亡くなられたことも知り.....お預けにしておいたことが、なんだかとんでもなく取り返しのつかない事のように思えてぽっかり胸に穴が空いたような寂しさをかみしめているとみざわさんちのハハです。ああいう豊かな女性の中の女性といえる人が自分と同じ日本という国に住んでいるんだと思うことでずいぶん生きる勇気を与えられていたのだと、亡くなられたという事実を知ってしみじみわかりました。今まで露西亜は、得たいのしれない恐い国という思いがあり、きちんと見ようとしなかったことや知ろうとしなかったことを反省しつつ、まずは、米村万里さんの「ロシアは今日も荒れ模様」と「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「魔女の1ダースー正義と常識に冷や水を浴びせる13章」を買って読んでみようと思います。はるか25年前、インド40日間の旅を終えて、成田から通勤ラッシュで混み混みの東京駅にえっちらおっちら荷物抱えて立った途端、同じ顔同じねずみ色のスーツで、無表情に駅の階段をザッザツと下りてくる大量のサラリーマン集団を見て思わず怖い!!と思ってしまったとみざわさんちのハハです。あの時、「個性がない」「表情が乏しくて不気味」と日本人のことをいう外人の日本人感を理解したしまったとみざわさんちのハハですが、慣れ親しんでしまうと没個性的というのも平和でいいじゃんとも思う今日この頃とはいえ、メルマガとってる田中宇先生もこれから世界は多極化して行くとおっしゃっています。米国の方だけ向いていれば何とかなっていた時代は、もう既に終わっているのかもしれません。露西亜のことも少し勉強していかにゃと重い腰をあげつつあるお正月気分が抜けかかりのとみざわさんちのハハなのであります。読後の感想はまたのちほど報告しまーす。それではまた\(^o^)/あっ!もっと近い中国のことも忘れてはだめですね。中国はどの辺からとっかかろうか迷っています。やはり面白エッセイなどから入れれば良いのですが、面白い本があったらご紹介下さい。
asahi.com 中東ウォッチ「ローマ法王の『イスラム批判』発言」 イスラム教とキリスト教の対立とよく言われるものが、イスラム教とキリスト教の宗教教義の違いによるものだけの争いであると思っている人は、ほとんどいないだろう。実のところ、私は、この二つの宗教について、ほとんど何も知らない。だから、これは、何も知らない素人の独り言なのだけれど、キリスト教もイラム教も神そのものより、神の言葉を伝えた人、いわば神の広報官のような人に重きを置いているように見えるのだけど、どうかしら?ほんとに素朴な疑問なんだけど..。ちなみに、キリストとアッラーのことを思うと、私は、谷川俊太郎さんの顔を、ぼーっと思い浮かべてしまう。谷川さんは、非常に精巧で緻密にできている天然ラジオだ。ウォーキングラジオというか..。チャンネルを指定すると、自分でチューナーを合わせ、いささかもぶれることなく正確な情報をキャッチして、実に正確なことばでそれを私たちに返してくれる。チャンネルの合わせ方がうまいし、受信した電気的信号を日本語に翻訳するのが天才的にうまい。預言者という人たちは、そういう優秀な詩人のような人ではないかと思う。電波の送り主が、神様であるか、人間や自然であるかというところで違うわけだけれど。仏陀は「哲学者」ということばが、まず浮かぶ。その次に物理学者。私は、私のDNAの中にある仏教的思想を除けば、これまたよく分からないのだが、知っている限りの仏教の教義は、とても合理的で性に合う。仏陀の徹底したニヒリズムに出会う度に、仏陀は凄い人だと思わずにはいられない。仏陀そのものは、神に関心を持たなかった(と思う)。神という思想も一つの幻想と思っていたのではないだろうか。それにもかかわらず、後には彼自身が神様にされてしまうわけだけど。人間は神を欲している。人間には神のようなものが必要なのだろう。で、何が言いたいかというと、どこぞのイスラム教国に、マホメットを凌ぐカリスマ性のある預言者が現れて、キリスト教とユダヤ教とイスラム教は、同じ神のそれぞれ違う側面を見ていたに過ぎなかった。私たちは、同じ神を信仰する兄弟姉妹だったのだと告げてくれないかなという事。ほんとうに感度の良い受信機ならそういうチャンネルにも合わせられるはずなのではないかと思うのだ。そして、その預言者と前後して、キリスト教世界にもユダヤ教世界にもおなじことを唱える指導者(こちらは、預言者でなくて指導者が良いと思う)が現れないかな。平和でなくて良い。夫婦喧嘩したり、近所の子供が、自分ちの庭のりんご盗んでちょー頭に来たり、恋人が浮気したり、子供が熱出したり......そういう個人的な小さな不幸は、人間のそばにいつでもある。でも、おおきな破壊力のある兵器を大量に使った戦争だけは、なくさなければならないと思う。私は、中東に、大きな争いごとがなくなり、小さな争いごとと和解で日々が過ぎていくような、そんな日々が、訪れることを心から祈りたい。
貞子ちゃんの連れ連れ日記冒頭に紹介されているカトラーさんのサイトに飛んで、紹介さている「外こもり時代のバックパッカーたち」ではなく、思わず9/10のエントリー「頭の強い子の育て方、頭のよい子の育つ家」を読みふけってしまいました。「プレジデント Family (ファミリー) 2006年 10月号」こういう雑誌があることも知らなかったので驚いたけど、その雑誌で紹介されているという武蔵中学の社会科の入試問題にもびっくり。詳しくは、サイトを御覧ください。中学生がこの問題にどのように答えているのかとみざわさんちのハハは、興味津々です。それから、ここで紹介されている「頭の良い子が育つ家」にもびっくり。こんなタイトルの本があるとは知らなかった。「頭が良くなる食事......」というようなタイトルは、よく見かけるが...。もしかして「頭が良くなる衣服...」という本もあるのでは?と思ったりしながら読んだが、家の構造が、家族のコミュニケーションの構造を規定する要因になりえるということらしい。なるほど...それは、ありえる,,,,と思った。エントリーの最後で、カトラーさんが言っている『この世で大切なことは「頭が強い」ことと「お金がなくても困らない」ことである』ということばは印象に残る。しごく納得のタイトルに昔思わず買ってしまった五味太郎さんのエッセイ「丈夫な頭と賢い体になるために」という本のタイトルを思い出した。
404 Blog Not Found さんの9/16のentry ブログの最後の方「ところが干支一回り分若い....」から始まるオープンソースについての記述にわが「ちかちゃん」を思った。実は「ちかちゃん」も読者に編集してもらう絵本として、存在させたいと思って作った本だから。「ちかちゃん」を読んだ皆さん、ぜひオリジナルな読み方をして下さい。サイトで編集できる絵本として、存在させることも将来考えよう。
みなさまこんばんは~~~(^^ゞ 東京地検の大鶴基成部長による「闇の不正と闘う」をみなさまお読みになられましたでしょうか?お読みになったみなさま、いかがでしたでしょうか?
わたしは、正直なところこの文章を読むと特捜がいつどこで何をどうするところなのだかよくわからなくなるのです。私は、警察も検察も単純に法の番人だと思っていました。特捜は刑事二課とか一課とかと同じように、検察の一部門だと思っていました。しかし「素朴な正義感」「闇」「腐食は切除する」「社会の公正の確保」国民のため社会のために闘う」ということばを見ていると、検察っていうのは、法の番人なのではなく、もしかして、法も作っちゃうところ?正義のための軍隊なのか?という素朴な疑問がふっと湧いて来てしまうのであります。法に違反した人に、あなたは、法律に違反してますよ。証拠はこれとこれです。反論があったらどうぞ。反論を聞いても違反していないとこちらでは判断しかねます。あとは、裁判所で、第三者に双方の言い分を聞いてもらい判断してもらいましょう。....と言って起訴する。そういう単純なことをする所だと思っていました。素朴な正義感って言ったって人それぞれだし、大鶴特捜部長が、それを言うなら、特捜としての共通見解としての素朴な正義というのがあることになってしまう。検察にとっての素朴な正義って法律以外にはありえないと思うとみざわさんちのハハとしては、素朴な正義感と言われるとその感のところがんっんっ???になってしまうのだ。闇や腐食や切除という言葉を大鶴基成特捜部長が、とてもマイナーな言葉で使っているらしいところがまたまた気になってしまう。闇も光もそれ自体を良いとか悪いとか判断すべきものでないと思うし、生きている状態は一般にまわりを吸収して成長している段階、腐食は、まわりに吸収されて固体の個性が他の個性に溶け込んでいる状態だと思うけど、犯罪とは、世の中の腐食なのだろうか?切除とは腐食が健康な部分にまで広がらないうちに手術してしまうということなのだろうか?でも、そんなに簡単に決めてしまって良いのだろうか?などといろいろ考えてしまうのです。なんだかすっと心の中に言葉が沁み込んでこないのです。こんな風に思うのは、とみざわさんちのハハだけでしょうか?これを読んだ(または、部長の訓示として聞いた)大鶴基成部長の部下は、上司の言葉に疑問を抱かないのでしょうか?などと、またいらんことまで考えてしまうのです。できれば、私は、検察官の方には粛々と静かにお仕事をして欲しいです。正義のために闘うんだなどと大上段に構えずに、人を犯人扱いしなければならないなんて、因果な仕事だなあ。法律は、絶対と思わなければやっていけないけれど、法律なんて、時代で変わるんだもんなあ。他人様の身柄を拘束するなんておこがましいことほんとはしたくないけど、しかたないよなと思いながら、仕事をして欲しいと思います。せめて、素朴な正義感を持って国民の為に闘うのだけは止めて欲しいと、守って頂く、あるいは、素朴な正義感によって世の中から切除されてしまうかもしれない可能性のある一国民として素朴に思うとみざわさんちのハハなのでした。
おかげさまで3月24日のテストは無事合格いたしました(^o^)まいどまいど更新が遅れておりまして、みなさまには、大変ご心配おかけしております
http://ascii24.com/news/i/topi/article/2000/10/16/618869-000.html?geta
追伸 ここのところ、世間をにぎわせているPSE問題、ライブドア問題、Winny問題を調べるにつけ、今この国を動かしている組織が、今の時代の変化にぜんぜん追いついていけてないというのがとても心配です。特に、ITの最先端は、日々進化しているので、それに追いついていくには、今までのような組織形態では間に合わないのではないかと思います。実際にITの最先端の現場にいる人たちの意見に真摯に耳を傾け、意見をどんどん吸い上げていく柔軟性が、今そういった組織に求められているのではないかと思います。今回の特捜のライブドア強制捜査にしても、分割された株を22万人が持っているということはどういうことなのか。そして、それが、ほとんど、ネットで簡単に売り買いで来てしまう状況において、自分達のやったことが、一般庶民にどういう影響をもたらすのか、十分に考えられていたとは言い難く、そういった組織で働く人たちは、もっと自分達の馬鹿を見つめなければいけないのではないかと思うのです。そして、その上で、組織の中に、新しい専門部署を増やしていく必要があるような気がします。たとえば、自分達のやったことの結果のシュミレーションを細かく分析する部署など特捜にはこれから必要かもしれません。特に経済事案においては。(もしかして、もうあるかもしれませんがだとしたらもっと現実に機能するように改革するべきだと思います)私は、これからもきちんと見て行こうと思いますし、自分の意見を言える場をネットの外にも作って行きたいと思っています。最近、掘江さんが、なかなか保釈されないのはどうしてだろうと思い、いろいろ調べていくうちに、法律にも興味を持つようになりました。日弁連という組織を見つけたので、勉強がひと段落したら、こういったところのセミナーにも参加してみようと思っています。否認している限り保釈されないという慣習があると言う人もあり、それが暗黙の了解の制度になってしまっているとしたらまずいような気がします。塀のこちら側もあちら側も、人権が守られるということは大切なことではないかと思っています。まだまだ詳しいことはわからないので、これから勉強していきます。参考までに日弁連サイトをご紹介します。
http://www.nichibenren.or.jp/
最近、ライブドア関係の事件を載せているホームページ等でよく「リーク」ということばを見かけます。とみざわさんちのハハは横文字に弱いので意味が分かりません。そこで、自慢グッズのひとつ!カシオの電子辞書で「リーク」ということばを調べてみました。カタカナ語辞典にはなかったので、広辞苑で調べてみたら.....ありましたありました!さすが広辞苑!「リーク=漏電。秘密や情報などを意図的に漏らす事」「ふ~ん、なるほどね」と言って、電子辞書をしまおうとしたとみざわさんちのハハは、待てよと考えて「ぞっと」しました。意図的に情報を漏らすって、普通一般に言われる告げ口のことなんじゃないの?いつだったか、中学校のお泊りの遠足で、持ってきてはいけないものを持ってきた子がいて(たしか日焼け止めクリームだか化粧水だかなんか)それを見た子が先生に告げ口をして、その日焼け止めクリームだかなんかを持ってきた子がとても先生から怒られたという話を聞きました。何人もの先生に取り囲まれて一人で....。それを聞いて「先生は何でそんなことをするんだ?」と思ってしまったとみざわさんちのハハです。私が先生だったら、告げ口をしにきた子に「そんなことをこっそり先生に言いに来る前に、本人に、それは持ってきちゃダメっていう決まりなんだから帰るまでしまっておいたほうがいいよと言ったのか?」と聞きます。もし、こっそり言いに来たのだったら「ともだちの告げ口するのは良くないよ」とまず言います。全てはそれからで、その持ってきてはいけないものを持ってきた子にも「これは、帰るまで預かっておくよ。持ってきちゃダメというものは見つかったらとりあげられる。これ常識」と言います。こういうことは怒ることじゃなくて、取り上げることだろうと思うからです。決まりを守らないということはいかにいけないか.....なんて説教はしません。だって、日焼け止めクリームだかなんかを持ってくるなという決まりそのものに、人道的な意味があるかどうかわからないからです。分かっているのは、決まりがあるのに守らなかったという一点だと思うからです。あまり意味がないと思われる決まりを守らないのはしょうがないかもなー。でも、決まりはあるんだしなー。日焼け止めクリームだかなんかを持ってきてはいけないという決まりにいったいどんな意味があるんですか?と突っ込まれたら、意味があるかないかをよく考えたことがなかったことがばれちゃうしなあなんて心の葛藤が先生にはあったほうがいいのではないかととみざわさんちのハハは考えます。分からないという引き出しをとみざわさんちのハハはとても大切なものと考えています。さて、とみざわさんちのハハが、よくネットの中で見かけるリークと言うことばは~検察側からリークされた情報をマスコミが流して....~という表現の中にあります。これってほんとうなのでしょうか?検察は、国民への義務として情報を正確に伝えているのではなく、ある意図を持って情報を漏らしているというのでしょうか?検察の仕事とはそういうことを堂々としなければならない仕事なのでしょうか?検察のお仕事をよく理解していないとみざわさんちのハハにはどうしてそういうことが必要なのか今一つわかりません。仕事としての告げ口の必要性が今一つ飲み込めません。が、もしそれが本当だとして、マスコミの人達は、検察の方から聞いたことを正確に私たちに伝えているのでしょうか?てにをは一つ、ヘッドラインの大きさ一つで、読む人にまるっきり反対の印象を持たせることが可能なのがことばの持つ力と恐ろしさです。私たちは、検察の方が真実だと思うことを知りたいのではありません。私たちは、マスコミの方が、真実だと思うことを知りたいのでもありません。事実が知りたいのです。そこから、真実を見つけるのは読者各個人なのです。私たちは頭がいいんだからそんな余計なことしてくれなくてもいいのです。広辞苑には「報道=社会の出来事などを広く告げ知らせること」と書いてありました。伝えて欲しいのは出来事なのです。出来事らしさではないのです。私が、新聞社の社長なら今この時点で検察からのリークは報道しないと思います。リークされる側が、反論する場を持っていない時にそれをすることはフェアでないと思うからです。もしかすると、それは告げ口を広く告げ知らせることになってしまう恐れがあるからです。大人としてすげーかっこ悪いと思うからです。どんなに他社が競ってリークを記事にしていても、そんな品のないことは絶対にしてはいけないと全社員に言うでしょう。それで、記者が会社を離れていっても、たとえ会社が倒産することになっても、やってはいけないことはやらないのが大人のたしなみだと思うからです。そういう姿勢を貫かなければ「報道の自由」なんていう権利を主張できないと思うのが、報道機関の常識だと思うからです。とみざわさんちのハハは、影でこそこそするのが、でーっきれえなのです。もちろん、これはネットの情報を元にとみざわ個人が考えたことなので、情報が事実でないとしたら私の考えも変わってきます。でも、このことが事実かどうかどうしたらわかるのでしょうか?マスコミの方に、関係者の話によるとという関係者というのは「検察官のことですか?」と直接聞いたら良いのでしょうか?(ニュースソースに関しては何の返答もなかったと問い合わせた方の情報としてネットの中には書いてありました)検察の方に「みなさんは本当にリークということをしているのですか?」と聞いたら教えてくれるのでしょうか?全てが謎で何がなんだかわからず、それゆえに漠然とした不安と不信感がみんなの間に広がって行くようで、この辺をこそマスコミがはっきり報道する必要があると思うのはわたしだけでしょうか?記事の中に、検察のだれだれさんからのことばを改変せずにそのまま載せましたとニュースソースを明らかにすることは常識だと思うのですがどうなんでしょう?もし、上記に書いたようなことが全く事実無根だとすれば、検察の方を悪く思うのは筋違いの誤解というものです。真実でなくても真実のように伝えられればある人にとっては真実になってしまうというのはよくあることのように思えます。このとみざわさんちのハハのブログだって、今日のところの上のほうだけを読んで検察官っていやなやつだなと思ってしまった人だっているかもしれないのです。公に向かって何か「言う」「書く」ということはとても責任の重いものだと思います。一人の人の人生を左右する事だってあるのですから。ニュースソースを明らかにできない記事は掲載しないくらいの姿勢で報道に臨むテレビや新聞があっても良いと私は思います。それが基本で、あとはさじ加減です。掲載を迷ったら自分と他の幸福にとってどちらが良いのかその都度検討すればよいのです。それが、大人の仕事というものだと思います。大人のたしなみが、社会の中で、きちんと機能している時、少しくらいのウソや少しくらいの虚業は、特に問題ないのだと思います。空中楼閣のような危うい基盤に社会が立つ時、その上に虚という大きな建物を建てようとする動きがあると、社会は、このままではもろともにつぶれると思い、虚という建物を慌てて乱暴に壊そうとするのでしょう。そんな事がないように私たちは、足元にある社会の土台を良く見なければならないと思います。それが、空中楼閣だと思ったら、みんなで集まってその空中楼閣を地面に降ろさなければ。誰かがやってくれるだろうとみんなが思っていたら、いつかもろともに崩れて行くのではないかと「リーク」というひとつの単語からさまざまな思いを廻らすとみざわさんちのハハなのでした。
とみざわさんちのハハは、依然としてライブドア事件から目が離せない状況です。会社の会計上の法律的問題は、いまだに良くわからないのですが(経済用語がちんぷんかんぷんなのだ)、いろいろ専門家のブログを見ながら想像するに、結局株を高く売る為、誇大広告をしていかにも儲かっている会社のように見せ、株の購買者をだましていたということがいけないらしいことがわかってきました。美容整形外科の広告の「私はこれでこんなにきれいになりました」という手術前の写真と手術後の写真と体験者のコメントみたいなものなのでしょうか?それともぜんぜん違うことなのでしょうか?婦人雑誌の広告のところには、体験者の写真があって「顔が変わって人生が変わりました」とか書いてあったりします。たいてい手術前の顔は、ノーメークでヘアスタイルもさえず無表情、手術後は、きれいに専門家がメイクしているようであり、ヘアスタイルも垢抜けていて、明るい笑顔というのが多いですね。「手術する前でも、きれいメイクで、きれいヘアスタイルでステキな笑顔で、それに知性が加わったら、十分きれいだったんじゃないの?うまいこと宣伝するなあ」なんて、いつも、スーパーで立ち読みするたびに思うとみざわさんちのハハです。「おそらく、手術して変化した目鼻立ちより、手術したからきれいになったはずだと言う心理的効果のほうが大きいのじゃないのかな自信を持つって大きいからなー」なんて思いながら、でもそれだったら、高い手術費用を払って痛い思いまでして手術するより、自分のことを常に褒め称えてくれる彼氏を見つけたほうがリーゾナブルだと思うけど、そういうこと書いておかなくていいのかしら?「たくさんの選択肢のひとつとして整形手術がありますが、ほんとにいいんですか?」とか。わたしがお医者さんだったら、そこまで言っておかないと、悪いことしているような気がしちゃうだろうななんて思ったりします。だって、私には、たいてい手術前の顔の方が自然で良い顔に見えるからです。美人の一般というのもあるのでしょうけれど、それは相当個性がないということだからいいかどうかは分からないとも言っておかないと私がお医者さんだったら手術なんて出来ないだろうと思います。ここまで言ってもどうしてもというのなら、それは、その人の人生にとって何らかの意味があって、それを体験しないと先へ進めないのでしょうから、その時は、思い切って腕を振るうでしょうけど。今時のほとんどの広告は、その気のない人にその気になるように仕向け、それが必要だと思っていない人にまるで必要だと思わせるようなあおり方をしているように見えます。こんな風に考えていくと、とみざわさんちのハハには、殆ど全ての広告が消費者を惑わせる危険性のある誇大広告に見えてしまいます。あと、よく結婚式の引き出物に付け足しという感じでついてくるコーヒーの詰め合わせの中のスティックシュガーなんかも開けてビックリだったりします。「あっ!ラッキー!鰹節でなくて良かった!スティックシュガー、丁度今日終わったところだったんだー!」と箱から出してみると、詰め合わせ用の中敷のようなものがすごくうまくできていて、そこが高~くなっていて、20本くらいは軽く入っていると思っていたらほんの5~6本しか入ってなかったりすることがよくあり、ある物をあるというのではなく、ないものをあるように見せかけることを商売の一手段と考えてしまう常識って良いんだろうか?などと考えながらライブドアの風説の流布や偽計取引などのことばを自分の身近にあることと結びつけて難しい法律用語や今回の事件の事件性について理解しようとしているとみざわさんちのハハです。虚業と実業という単語なども今回の事件ではじめて知ったわけですが、何をもって実業とするのか私には明確に定義できていません。私たちの日本語に実はあるのでしょうか?お金に実はあるのでしょうか?昔、社会科の授業で、国は金(きん)の持分だけお札を刷っていいことになっていると習った記憶がありますが、今、そんな事をいう人はいないようです。お金の実とは何なのでしょうか?人々の注目を浴びる人や事件は、その時代を現していると言われます。だとしたら、今回のこの事件は私たちの普段気づかない(気づけない)大事な真実をあぶりだしているのかもしれません。買い取った会社が赤字だったので同じグループ会社の黒字を持ってきて付け足して株を売る。それを見た消費者が「なんかこの会社よさそうじゃん。ここの社長さん、いつもテレビとかに出ててお金持ちそうだし」と言って株を買った。そうしたら、みんなが買ったので株の値段が上がった。そうしたら、その赤字会社に設備投資する資金ができたので思いっきり投資した。そしたら、ほんとの黒字会社になっちゃって、その会社の社員も喜ぶし元の経営者も喜ぶし、もちろん株主も株価が上がってうれしい。社会全体も景気がよくなってうれしい。なら、誰も損しないからいいじゃないかなあとも思ってしまったらいけないんでしょうか?今回の事件の摘発で一体誰が得をしたのでしょうか?どんな意味があったのでしょうか?その辺が一番とみざわさんちのハハにはわからないところです。今回のような事件になるきっかけとして、一番ありそうなのは株主からの苦情で「儲かってるって言うから株買ったのに下がっちゃって、なんかここの株って変な上がり下がりをしてるような気がするけど何か変なことやってないだろうな?」という訴えがあって、あまりあちこちからあるから取引委員会の人も動き、ライブドアに「消費者からこういう苦情来てますけどあなたのとこの会社なんかウソついてません?」と聞いてみる。そしたら「うそついてないよ」とライブドアがうそをついたとする。これが何回か続いて「こんだけ苦情が出たら、うちの信用にも関わるから最悪上場を取りやめてもらうことも考えますよ」と取引所の人が言う。それでも、まだ同じ状態が続くので、何とかしてくれと検察に訴える。そして、検察が来てこういう苦情が来てるから調べさせてもらうよということになり調べが始まる。でも、今のところ、容疑が確定してないのだから、自分達が、捜査に来ているとわかっただけでも、営業妨害になってしまうかもしれないと、検察はなるべく他の人(とくにマスコミ)に知られないように配慮する。でも、なんかの拍子にマスコミに嗅ぎつかれてしまった。で.....一連の事件報道になるわけですが、そこでも、マスコミは、真実を伝えるべく、検察からの捜査進展状況の報告とライブドア側からの報告を等分に載せるように配慮し、識者の意見を載せる時も、読者が正しい判断をする助けになるよう様々な意見を載せていく。容疑が確定して起訴となった段階で、マスコミも法律上はともかく、もしかしたら自分達もライブドアの社長のことを行き過ぎた持ち上げ方をしたかもしれない。もし、ライブドアが今回の事件で有罪となるなら、自分達にも責任の一端があるのだから、何か株主の人たちに対してお詫びがしたいと言う。言われた株主も「いいよいいよ、自分の頭で判断せずにテレビや新聞に出てる人=有名人=信用できる人と安易に思ってしまった自分もいけないんだから」と言い「いい薬になったよ」と言う。検察や裁判所の人たちも、ライブドアのやったことが、社会に与えた影響をプラスマイナス両方鑑みて、これからの社会にどのような影響をあたえるかをよく考えて判断を下す。そして、ライブドアは、本来、適切な行動は何だったのかを考えて、しかるべき弁償等をし「今回の件を生かしてこれから頑張ります」と言う。裁判所の人も検察の人も「やっと分かってくれたね。君のこれからに期待してるよ」と言う。逆に、株主の苦情が、いわれのないものだとわかった場合「疑って悪かったね」と検察の人が言い、ライブドア側も「いやあうちもそういうふうに疑われるような行動をとったところがあったんでしょうから」と言って検察を許す。そして、疑われるような原因となっていたことを改善する。改善したことによって今まで以上に信用を得られるようになり、株も今までより上がり、その後ライブドアは、二度とこういう事件は起こさなかった。年をとってからの回想記で、堀江社長はその時のこと綴ってこう記す。この事件の時の検察やマスコミの対応を私は今でも忘れられない。彼らの人間味溢れる態度が、それからの本当の実業家としての私を育ててくれたのだ」.......と。普通の人間同士の付き合いならこんなふうにいくはずと、とみざわさんちのハハは考えるのです。でも現在の実際の流れはそうなってはいないようです。私が、書いたような流れがまるでおとぎ話のように感じられるのが現実です。果たしてそれでいいのでしょうか?およそ経済活動も検察活動も裁判活動も、人間がより幸福になる為にあるのだということを私たちは忘れてはいけないと思います。経済活動も検察活動も裁判活動もあくまで手段であり、目的ではないのだということを忘れてはいけないと思います。法律を守ることが良いことなのではなく、法律を守ることによってみんなが幸せになる事が良いことなのです。小学校の頃「女ねずみ小僧」というテレビ時代劇が大好きでした。小川真由美さんというおしゃれでセクシーな女優さんが演じる義賊女ねずみ小僧は、弱気を助け強気をくじくカッコ良い女性で、学校から帰って「おんなねずみ小僧」の再放送を見るのがとても楽しみでした。個々のストーリーは殆ど憶えていないのですが、ただひつ、ある回で、女ねずみ小僧が手下の男達に言って聞かせる場面、いえ言って聞かせたことばだけが、今でも鮮明に私の耳に残っています。それは「法律はさじかげんさ」ということばです。その時小学生だった私は「そうだそうだ!」とテレビの前で大きくうなずいていたのでした。あくまで主体は人間なんだと言うおんなねずみ小僧のことばに小学生とみざわはおおいに共感したのです。そして「最低限の法律だけを持って、あとは人の良識というもので社会を十分運営していけるそんな国民に早く日本人はならないとなあ」と頬を高潮させながら思ったのでした。昭和30年代から40年代を小学生に生きたとみざわさんちのハハは、日本人は、どんどんこれから大人になっていくんだ。そして、大人になったことによって、国の校則のような法律は、これからどんどん小さくなっていって、風通しの良い涼しい国になっていくんだと思って楽しみにしていたのでした。そういうことが、戦後日本が選択した民主主義国家というものであろうとおチビとみざわは思っていたのです。でも、残念ながら小学生とみざわが描いた日本の未来は、まだ実現できていないようです。むしろどんどん後退しているように見えてなんか心配になります。民主主義に対してのわたしの思い込みが間違っていたのでしょうか?どこかに民主主義というものがあると思っていたわたしたちの考えそのものがまちがっていたんでしょうか?そう思って世界を見渡すと、「~民主主義国」という名前の国はあっても、その国が現在民主主義国家であるかどうかは判らないんだと、とみざわさんちのハハは気づくのでした。民主主義を実現させた国というのは、まだ世界には存在していないのかもしれません(国という単位ではなく部族単位ならかなり理想に近いものがあるように思われますが)。「~民主主義国」という国の名前は、国民の総意として、民主主義国家になろうと未だ努力を続けている国の名前なのだと思うとなんか納得できるような気がします。ならば、今ここで私たちは、未だ実現している国がない民主主義という思想は、人にとって本当に実現可能な思想なのか、また実現させた方がいい思想なのか、民主主義という時の「民」とはどういう人たちを指すのか、民主主義を実現させれば私達はこのだだっ広い国という器の中で幸福な人間関係を築くことができるのかについて、今、ひとつひとつみんなで検証をはじめた方が良いのではないかと、とみざわさんちのハハは思い始めています。そして、もしかすると日本という国に住む私たちはそれをするにふさわしい国民なのかもしれないとも思うのです。資本主義のどん詰まりを経験し「~民主主義国」ではなく「日本」というシンプルな国名と、日の丸というシンプルな国旗を持った日本という国に住む私たちには知識と経験の蓄積と民主主義に対する潜在的な客観性があるように思えるのです。本当は。今、私たちに足りないのは、それを考えることができるという自信とそれが必要だと自覚することだけかもしれません。今まで日本は新しい思想や新しい視点を、またそれに基づく行動を排除し、全て平均化しないと不安でいられない国民性を持っていると自虐的に自らのことを言うことが多かったと思いますが、それは日本だけでなく世界中の今までがそうだったのだと私には思えます。誰だってわからないものは怖いのですから。でも、もう歴史は繰り返さないのだと、私たちは思ってしまっても良いのではないでしょうか?これだけの失敗や試行錯誤を繰り返したら経験は蓄積しているのだから、それを基にして今は知らない今は未知のことを分かろうとすることができると気がついて良いと思うのです。そして、気が付いたら実行するのです。思考することを実行したら行動を起こすのです。試行錯誤の中で掴んだ真実をそれを必要としているみんなに教えてあげるのです。もし、自分自身に出来ないなら、出来そうな人を見つけ応援し助けなければなりません。....それにしても、とみざわさんちのハハにポスト民主主義などというものまで考えさせてしまうライブドア事件とはいったい何なのでしょう?もし、今度のライブドア事件をおんなねずみ小僧が見ていたらなんtと言うでしょう?どんな行動をおこすでしょう?そんなことを考えながら、とみざわさんちのハハはライブドア事件の行方をまだ見守っているのでした。お前はこの事件に対して当事者であり、第三者のふりして気楽に論評してはいけないと私の中の何かが私を突き動かすのです。当事者としてよく見ろと。
インストラクターになろうと思った時、どんなインストラクターになればご飯が食べて行けるかなと考えて気がついたことが二つあります。一つは「究極の良いインストラクターって、インストラクターである自分が早く失業状態になるにはどうしたら良いかを真剣に考えるインストラクターのことなんじゃないの?」ということ。たとえば、私にパソソコン操作を教わっていると分かりやすくて、どんどんわかちゃって、意欲もどんどん増してきて、その上、わからないことがわかるようになる為の方法もどんどん教えてくれるから、自分で独学する力も付いちゃって「もう自分で出来るようになったからいいです」と言って、生徒さんが、どんどんじゃんじゃん、私のパソコン教室をやめてしまう......とまあそういうインストラクターが一番いいインストラクターなんじゃないの?と思って、そっちの方向で頑張ろうと思ったのですね。で、考えてみると、あらゆる職種の人たちが、自分の職業にその様な考えで取り組んだら良い仕事が生まれるんじゃないかとも思ったんですよ。みなさまどう思います?特に公務員と言われる人達や政治家の方など公の仕事を任されている方々などには、わかりやすい目標になるような気がします。政治家ゼロでOKな国を作るように政治家が努力する。学校の先生は、学校なんかこなくても、勉強なんかするなといっても、子供達が自ら進んでみんなで助け合って勉強してしまうように勉強初期のところで、その楽しさを存分に伝えるというのを目標にする。そういう基礎的なところが身についていれば、学校なんて小学校だけで十分でしょう。あとは、本当に専門的な知識が必要だったり、考えることを職業にする人たちだけが、高校や大学に行けばいいんです。今、様々な学校で教えてくれることは、昔だったら、職場で実地で学んだことだと思うし。実地で学んだ方が使える人材に早くなれると思うんですよね。警察官の仕事も、初めは思い切って経費を使って警察官を増やして、犯罪を取り締まったり、見回りを多くして、犯罪そのものを減らす。それが終わっら、犯罪が起こる仕組みについて研究。研究成果を庶民に啓蒙。で犯罪がゼロになったら警察解散。武器の製造販売を行っている方にもその辺考えてもらいたいですよね。昔の映画や物語の中に出てくる刀鍛治の親方が、物凄い剣を剣豪に渡しながら、よく切れる刃物を持つ者の心得を説いたりするじゃないですか。「使うな」と「これを使う時はお前が死ぬ時」だと。簡単に生き物の命を奪うことが出来る物を作る人の責任というのは、絶対あるはずだと思いますね。正直言って、とみざわさんちのハハは、ミサイルだの鉄砲だの自分の体から離れたところで生き物の命を奪うものは邪道!と世界中の心あるみんなと一緒にで叫びたいですね。とやや話がずれましたが、ぜひ、皆様も、自分が失業するには、どうしたらいいのかという視点で、自分の職業を見つめなおしてみてください。自分の仕事に対する新しい発見があるかもです。二つ目...私のパソコン教室に来てパソコンができるようにならなかったら、100%私の責任と思って頑張って勉強しようと思った時に、先生っていう職業は、物凄い知識と経験とそれを噛み砕いてわかりやすく語れる技術と人間としての魅力が、必要不可欠であるということに気がつきました。自分が生徒だった時、例えば、中学校で理科や数学が出来なかった時は、私の頭が悪いんだと素直に思っていたのですが、今思えば、先生のスキルにも若干の問題があったのではないかと思ったのです。先生と呼ばれる人たちの育て方を、今、大人は真剣に考える必要ありかもと思ったので、自らも勉強しつつ考えて行きます。いいこと思いついたら、ここで発表しますね。皆さんも、何か良いアイデアがあったらお知らせ下さい。以上、気がついたことでした!!じゃじゃ~~ん!!ちなみに、自分が失業することを真剣に考える人のところには、お客さんが絶えないと思います。宣伝なんかしなくてもおまけなんか特典なんかつけなくても。で、いつまでも失業しなくても良い状態が続くはず......と思います。とみざわさんちのハハの考えでは。
先月の広告批評は、エコ特集です。/考えすぎない。おなかが空いたらご飯食べる。そんな感じでエコしたい。/これは、「fes'05」に集まった方の言葉。「fes'05]は、「ap banck 」の主催。「ap banck 」とは、NGOや個人などが計画する環境への取り組みに「融資」するプロジェクトとのこと。MR.Childrenの櫻井和寿さんや音楽プロデューサーの小林武史さん達が、個人資金で、はじめたものだそうだ。そして、その考えを、もっと広く発信して行こうとBANKBANDを2004年に結成して、今年、7月16日~18日まで、第一回目のフェスティバルを開いたということだ。なんかすごい!エコに対する認識も、ここまで来たんだと、エコに関心ある友人の影響で、10代の頃から、環境とか、自然破壊とか、有機的生活とか、そんな単語を心の中でころがしつつ生きてきた私としてはうれしくなった。辛気臭くない、明るく楽しい感じがする。エコという言葉も進化して、ずいぶんおしゃれになったものだと思う。良かったと思う。先月の広告批評は、エコが特集として組まれているから、他にもたくさんの事例が載っていて、それぞれがおしゃれで、垢抜けていて、もともと疑い深く、何事も暗い方へ暗い方へと考えるくせのあるとみざわさんちのハハの心に、一瞬マッチ売りの少女のマッチの炎の中に表れたクリスマスケーキのような幸福感を与えてくれた。しかし、こういう運動だけでは、大きな人間の行く末を変えることは無理なんじゃないかと、とみざわさんちのハハの動物的本能は、ため息をつくのだ。京都議定書を無視したと、アメリカ国内でも相当評判が悪そうなブッシュ大統領は、まだ大統領をやっている。買い替えの必要に迫られた時、エコな電化製品や車などを買おうとする意識が、たくさんの、しかも、若い日本人の中にあるということは、とてもすごいことだ。しかし、いかんせん、先進国といわれる人たちが、贅沢しすぎてるし、その人口も結構バカにならないだけいる気がする。日本の少子化は、もしかしたら、人間の本能とでもいうべきものかもしれない。まず一国のエネルギー消費量を決める。そして、その国の一人当たりのエネルギー消費量を決める。そして、そのエネルギー量に見合った生活の年間指標を決めてそれをみんなで守る。それを全世界規模でやる。今まで贅沢しすぎていた人は、今までよりも質素な暮らしになる(初めは、不便な暮らしと思うかもしれないが、やがて慣れて、今までより却って快適な暮らしと思うようになるかもしれない)今までが、あまりにも劣悪な環境で、食うや食わずだった人は、今までに比べたら、なんて贅沢な暮らしと初めは思うだろう(しかし、きっと直ぐ慣れる。もっともっとと思わないように)。もうかなり、強引にやらなければならない時期に来ている気がするが、どうだろう?今、こういった具体的な数字は、出ているのだろうか?私が知らないだけなのだろうか?日本以外の国はどうなのだろう?考えてみれば知らないこと分からない事だらけだ。具体的な数字知りたいです(@_@。
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