Saturday, October 21, 2006
宗教というものは、人間の体の構造から生まれて、石斧だとか歯車だとか目に見える形の道具に変換できなかったナニモノカだという気がする。中村元先生は、私が、小学校の頃、NHK教育テレビで毎週日曜の朝(だと思う)に放送していた「宗教の時間」にいつも出演されていた。多分に学術的で、小学生の私にはひどく退屈なのに、目と耳が勝手に先生のお顔とお話に私を釘付けにするので、しかたなく、わからないまま、つまらないようと心の中で叫びながら、最後まで見ていた。今思うと不思議。買おうかな?Amazonのカスタマーレビューでは、最もブッダの言葉に近いものらしいと多くの人が書いている。よし!昨日紹介した本より先に読むことにした。中村元先生のことを思う時、幼い自分に出会う。日向くさいけだるさが全身に蘇ってくる。でも決していやな感じではない。これから、長い人生どうやってこの退屈さと孤独に付き合っていけば良いのだろうと途方にくれていた風や太陽の光がまだお友達だった頃の幼い自分を思い出す。
読みかけの本をひとまず休んで、この本をゆっくり読んでみたい。
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Monday, October 16, 2006
松本のコーヒー屋さんの10/14記事を読んで、あまりにも自分の今の実感に近いのでびっくり。10/16記事もです。世の中は、時々刻々と動き、人と同じように、国も、生まれて青年期から成人期を経て、だんだん年を取り成熟期となって行くのでしょう。昭和33年生まれの私は、国の成長に歩調を合わせるように、共に年を取っているような気が、しています。
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Thursday, January 12, 2006

「昨日考えた簡単な物語りを北野武監督に映画にしてもらったらおもしろいんじゃなーい?」と考えて「やっぱ、たかだか2時間半くらいの映画に治めようとしたら、面白い物にするのはとっても難しいだろうな」と思いました。スペクタルとして、簡単に人の気を引けそうなところは後半しかありません。しかも、そこで盛り上げるには、主人公となる二人の部族長の子供のときのエピソードや恋愛や結婚それから、親との関係、時代背景をきちんときめ細かく表現しなければなりません。とにかく、人として当たり前の事を、当たり前にやっている人の話なので、面白いと言えば面白いし、平凡と言えば平凡なよくある話になってしまうわけです。だいいち、この部族長二人の役をやれる人がいないような気がします。映画もテレビもめったに見ないので、日本の俳優さんのことはあまり知らないのですが、時々、ジャニーズの方たちが、時代劇に出てたりすると、動きと日本語の発声が、どう考えてもこの時代の人じゃないって感じで興ざめになる事を考えると、この時代背景も定かでない物語の主人公をやるのはとても難しそうです。これは、未来の理想を過去の事物を使って表現するになると思うので、縄文から、人の容姿を持ってきて、飛鳥時代の衣装を入れて、戦国時代の武将の面構えをエッセンスとしていただいて、刀鍛治には、室町時代の服装と茶の湯の精神を注入、部族長の妻には、額田王の色気と江戸時代の気丈な武家の妻(ラストサムライで小雪さんがやっていたような)をミックスして.........できれば、建物達は縄文にしたい!あと、建物の後ろにある自然という背景は、やっぱり縄文がいいな..そんな景色まだ日本にあるのかしら?などと考えていくと.....何が何だかわからなくなるわけです.......しかも、わたしが、縄文だ室町だ江戸だといっているのは、あくまでも、まんが日本の歴史やテレビの時代劇や昔見た映画のワンシーンなどのイメージから言っているだけなのであんまり確かなものじゃないですし...うん......ぜんぜんいい加減だな..はい...。でも、たくさんのその道の専門家と一緒に、長丁場(一年以上続く)のドラマとして作ったら(ちゃんと時代考証したものをパズルのようにきちんいれていけば)、結構面白いんじゃないのと思ってしまい、今一人妄想に耽っているとみざわさんちのハハなのでした。ハイそうです!明日はいよいよパソコンのテストです。こんなことやっていないで勉強しなければ。お正月ちょっと、勉強するのをさぼったら、わけわかなんくなっちゃてますから。これから勉強します。ふ~(#^.^#)ガンバネ!!(何語?)
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Wednesday, January 11, 2006

なぜ武器商人にならなかったのか?について考える前に思ったこと......。武器を売るということをうんぬんする前に「なぜあの武器なのか?」と思ってしまったとみざわさんちのハハです。なぜ?一回引き金を引くだけで何十人も殺せる機関銃だとか、もっといっぺんにたくさんの人を簡単に殺せる大砲だとかミサイルだとかなの?....と。どうして刀じゃないのかな?....と......修行を積まなければ決して使いこなせない刀。それを使いこなすには何年もの修行を要する。だから、部族のリーダーとして生まれた者は、男だろうと女だろうと7歳の時から、もし万が一部族を守らなければならない事態が生じた時の為に刀の修行に励まなければならない。しかし、今まで一度もそんな事態は起こらなかった。事がそこに及ぶ前に解決できていたから.....。部族長の後継者が、修行を始めたその時から、刀鍛治は、彼(彼女)が修行を終え真剣を持つその日の為に刀を打ち始める。彼(彼女)が修行を終え、晴れて真剣を持つことを許された日、刀鍛治は自分の全心全霊を込めたその刀を後継者に渡す。その時行われる儀式は厳かだ。そしてその数年後...隣の部族との若者同士の争いが大きくなり、今だかつてなかった大きな部族間の争いになってしまった。このまま行くと子供や老人にまでその被害が及んでしまうと判断したお互いの部族長は部族の命運を掛けて二人きりで戦うことを決心する。民衆も部族長の勝敗に全てをかけることを承諾。戦う日取りを決め、その日まで、様式に則った儀式と剣の修行に励む部族長二人。妻も子も黙って静かにその姿を見つめている。そして、ついに戦いの日がきた。二人の戦いは、民衆の見守る中で行われる。壮絶な戦いが繰り広げられ、戦いは長時間に渡った。息をつめて見守る民衆。やがて、ふたりに疲れが見え始める。その時、今まで厚く垂れ込めていた雲間から太陽がのぞき、部族長の剣が一瞬キラリと光った!...............二人の部族長の剣は、それぞれの心臓を突いていた。二人は......死んだ......同時に.....。民衆は.....誰も何も言わなかった。誰も泣きもわめきもしなかった。ただ黙って二人の亡骸を見つめていた。やがて、彼らは誰ともなく二人の亡骸のそばに歩み寄りそれぞれの部族長の体を起こした。自分達の命を救う為に、無駄な争いを鎮めるために戦い死んだ二人の部族長を。そんな様子を物陰からじっと見つめるひとりの者がいた。刀鍛治だった。彼は、黙って民衆の様子を見ていたが、民衆が部族長の体を起こしはじめた時、彼らにくるりと背を向け自分の鍛治場へと戻って行った。彼は長い間黙って鍛治場に座っていたが、おもむろに立ち上がると、部族長に捧げる刀を打ち始めた時から同時に打ち始た刀を取り出し自らの腹を切って..死んだ.....。それぞれのリーダーを失った民衆は「尊い命」という言葉によってではなく「自分達の心を支えてくれる者を失う」という事実の重さによって変わった。その後、その部族は、決して殺し合いをしなかった。静かに根気良くあきらめずにお互いの問題を解決するすべを学び続けた.......これは、武器のことを考えているときにふと思いついた物語ですが、生き物の命を簡単に奪える武器を扱うということは、このくらい重みを持っていてしかるべきなのではないか思いました。武器商人の存在を嘆くよりも、武器を作る人と売る人と使う人のそれぞれが、自分の仕事の重みをきちんと理解しているということ、そしてそういう仕事に就こうとする人には、社会がきちんと教育をするということ、また、その内容を武器の性能の進歩に合わせて手を加えつつ伝承していくことの方が大切な気がします。以前、NHKの番組で弓矢を代々作ってきた巧の方の特集をやっていました。その方の弓矢を作る時のぴんと張り詰めた姿勢には、私のような庶民をひれ伏させてしまうような美しさがあったことを思い出します。こういった姿勢を過去の文化としてではなく、今も生きる道として世界に再生させていく必要があると思いました。今はまだヒトの時代は幼く、というより、ある時点で物作りの進歩のスピードが物凄く早くなってしまって、人の心の成長が追いつかなくなってしまい、両者のバランスが取れなくなってしまっている状態の今この時代では、「平和を!」と叫ぶより「まずはきちんとした戦争をしようよ」という提案をし具体的な方策を考えていくことの方が現実的で、戦争に直接関与しない人たちへの被害を最小限に食い止めることができるのではないかとも思いました。早くて力があって安いという方向性の物の性能の進歩にも、ちょっと今は足踏みをしてもらって、ひとの心を育てることにみんなで取り組む必要があると思います。それにしても、アメリカの大統領ブッシュさんとイラクのフセイン元大統領が民衆の命を背負って、円形競技場で真剣勝負する姿を想像することは、とみざわさんちのハハにはとても難しいです。お二人には、一度もお会いしたことがないので、あくまでメディアで拝見した限りのお姿からの想像ですが.......。いまどきのリーダーの強さの要素とは何なのでしょう?”腕っ節が強い” ”勇気がある” ”剣さばきが人並みでない” 将来を見通す力がある” 豊かな愛を持っている”ではないような気がします。では一体何を基準に、私たちは今、世の中を動かす大きな権力をゆだねる人達を選んでいるのでしょう?どんなに残酷で愚かな暴君にも一人の母親がいることを思う時、息子を持ってしまったとみざわさんちのハハは、ひとごとではないぞしっかり考えなくてはと思うのです。子供を持たなかったら、基本が怠け者でいい加減なとみざわさんちのハハは、こういうことをこんなに真剣に考えなかったかもしれないです。子供はありがたい存在だなあと思う今日この頃です。武器については、また考えて何か思いついたら書こうと思います。
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Friday, November 04, 2005
おばんです!!とみざわさんちのハハでございます。昨日、ブログを更新するはずでしたが、11月2日の夜から喉が激しく痛み、バタンキューと倒れて、丸1日、正確には、11月2日の午後7時から、11月3日の夜7時まで、途中ちょっと起きて水を飲んだり、ふりかけご飯を食べたりしてすぐ寝るの繰り返しで、ずーーーーーーっと寝てしまったのでした。やはり、毎日、同じところに同じ時間に行って、同じようなルーティンワークをするという生活がハハには合っていないらしい!今日は「何処へ行こうかなあ」と、朝ご飯を食べながら考えて「そうだ!ギアナ高地へ行こう!」と、ポケットにある小銭を確認して「なんんとかなるわな」と言って、電車で成田に向かう途中、気が変わって日光東照宮の見ザル聞かザル言わザルを見に行って、家へ帰る途中、ちょっと、腹ごしらえと、伊勢崎駅構内の立ち食いそば屋によって、かけそば食べているうちに、ふと、六本木ヒルズのダヴィンチ展をもう一度見たくなり、またまた、電車にに乗って六本木に行き、今お気に入りのダヴィンチの本に書いてあったという不思議な図形の模型を指差し「展示が終わったら、これ頂けませんか?」と、お願いしたら、思いもかけず「どうぞ」と言われて飛び上がって喜び、家に帰って早くこのことを「とみざわさんちのいろいろ日記」に書こうと、電車に飛び乗ったものの「次は上野駅~」というアナウンスを聞いた途端、上野動物園のパンダを、まだ一度も見たことがなかったことを思い出し、ちょっと、上野で下車してみたら..........なあんていう生活が、多分一番わたしに向いているんだろうなあ。ここ何年間か、風邪引いたことなかったのに、風邪ひいちゃったのは、やっぱり、同じところに同じ時間に行って、そして、ここがみそだけど、与えられたものをきちんとこなすという受身の毎日が、知らず知らずのうちにストレスとなっていたのかもしれない、こういう生活は、わたしの体質に向いていないのだろうなあと思った1日でした。勉強するということそのものは、結構楽しいんですけどね。やっぱり、勉強は、攻めの姿勢じゃないとね!!
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Wednesday, September 14, 2005
お久しぶりです。相変わらず、学童で美味しいおやつを食べつつ、どろだんご作りなどにも燃えているとみざわさんちのハハでございます。衆議院選挙が終わりましたね。学研まんが「日本の歴史」を読んでいるわたしとしては、「あーやっと、日本も江戸の幕藩体制から卒業しつつあるんだな」と感慨深いです。思えば、江戸から東京に変わろうが、戦争に負けてアメリカがパイプを加えて民主主義になりましょう!とやって来て、アメリカの方を見つつ民主主義ってこんな感じでいいのかな?と真似しながら、世界の経済大国と言われるようになっても、この日本列島に住む大多数の人にとって、日本という国はなかったんじゃないかと思いました。自分のお国こそが国で、東京は、日本の首都ではなく、東京という名に変わった江戸だったのではないかと思いました。わたしたちは、今やっと「日本という国」に所属する「日本人」であることを自覚し始めたのではないかと思います。これからは、苦労も多いけど、自分の頭で考え実行する本物の大人の国になるよう私たちは頑張らねば。本物の民主主義作りも今から始まるのだと思います。ヨーロッパ生まれ、アメリカ経由で私たちの国に入ってきた民主主義は、まだ未完成の民主主義だと思います。東洋のはじっこに位置する日本。小さな島国日本。世界で最もシンプルで怖いほど美しい国旗「日の丸」をデザインした日本。その日本の国に住む私たちは、日本を大人の国に作り上げることができるのでしょうか?そして、民主主義の再定義と実践を通して、民主主義を磨きそれを世界に発信することはできるのでしょうか?「日本」は、今、始まったばかりなのだと思います。
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Saturday, July 16, 2005
友達からメールが来た。高校の同窓会に行くと、しっかりお母さんしている人か、しっかり働いている人か、どっちかで、自分は中途半端だと思って、落ち込んでしまったというお話。なるほど。でもさ、中途半端って、健康的だと思うんだ。ほんとうは。どっちつかずで、なんとなく生きている人たちばかりだったら、世界は、もっと、平和な気がする。どうして、極端に走るものばかりを、私たちは認めたがるのか?適当とか、いい加減とか、いい言葉なのに、いつのまにか良い意味では使わなくなってしまったということはどういうことなんだろう?自分の手で、がーっと何かを掴みに行く人って、そんなにたくさんのいなくても、いいのではないかしら?雑誌を見ても、テレビやインターネットをみても、何かをあおる言葉があふれているけれど、もういいんじゃないかな?人間は、そんなに頑張らなくても。だいたい頑張る方向にベクトルが、固定されてしまったかつての動物は、その頑張りのために滅んでしまったと思うけど、どこかで、走り始めると、ストッパーが効かなくなるのが、生き物の性かもしれない。で、わたしですが、極端から極端へ走るタイプです。本当にだめなやつです。やるかやらないかどちらか。なんとなく適当にというのが、できない。だが、金持ちにもなってないし、出世もしていない。何もいいとこないです。これと言って、秀でたところもありません。でも。今日もご飯はうまいし、ぼんやりと曇っている空を見上げるていると、さーっと涼しい風が吹いてきたりして、そんな時は、こっころから、幸せだ。あっ!!隣のアパートのおばさんが秘密で飼っている黒い猫が、うちのアパートの窓を見上げている。平和だなあ。ちょっと、町を歩けば「とみざわさん!」って声を掛けくれる人がいるし、体調が悪いというのを伝え聞いて「体調がわるいんだって?大丈夫?」なんてメールをくれる人もいる。ありがたいなあ。日本の田舎って、世界一平和な良いところかもと思う今日この頃。ところで、友達に、いい加減で、中途半端でいいじゃん。非生産的が、これからのトレンディーだよって、返事書いて、ふと思いついたんですが、頑張る方と頑張らない方と二つの道にがあって、どちらに行こうか迷った時に、常に頑張らない方を選んだら、わたしの人生はどうなるのだろうか?ということ。なにか、気持ちがとても開放されるような「いい感じじゃん」という気持ちが、ふつふつと湧いてくるような気がするのは、気のせい?う~~ん!実験してみよう!!でも、あれですね。世の中から、生産的であれという無言の圧力と教育はものすごく、ありますね。つい、生産的なほうを選ぼうとしてしまうもん。子供を4人生んでいるだけで、迷惑なくらい生産的なとみざわさんちのハハです。それ以外は、非生産的で行こう!非生産的なことが、もともと好きなんだし。で、受験勉強がしたい!!と昨日思った。受験勉強は、今まで一度もしたことがない。受験勉強しなくても、私の人生は、なんとかなり続けてきてしまった。一度もやったことないことはやってみたいし、受験勉強の非生産性は、魅力だ!!!!
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